昭和30年7月30日、三重県津市の中河原海岸で行われた中学校の水泳の授業中、
突如として溺れだす生徒が続出して、女子中学生36名が死亡する大惨事となった「中河原海岸水難事故」。
生存した女子生徒が後に語った「防災頭巾をかぶった何十人もの女たちに、足を引っ張られた」
という証言によって、今日まで語り継がれる出来事となった事故の真相に迫る一冊。
本作の特徴
テレビやインターネットで取り上げられ、怪談、心霊事件として有名となった
「中河原海岸水難事故」。
この事件は多くの学生が亡くなった水難事故としてよりも、亡霊が登場する怪談事件として一般的に知られている。
そして、怪談として語られる事はあっても、水難事故の原因や背景を掘り下げて語られることは少ない。語られることの少なかった事故原因や背景にスポットを当てたのが本作品である。
本作は「亡霊の正体は何だったのか」という謎解きに留まらず、「なぜ事故原因の解明時に亡霊が登場したのか」という疑問に答えを提示した。そこが特筆すべき点である。
事実、「防災頭巾をかぶった多数の女性が水中から足を引っ張る」怪談の真相は序盤で明らかにされ、それ以外の要因に目を向けている。
なぜ事故後に亡霊が登場したか
著者は、事故発生時に現場にいた教員への過剰なバッシングや政治家による感情的な責任追求など、事故後に起こった出来事に作為的なものを感じている。
掲載された当事者へのインタビューや裁判資料は、事故当時の状況がどれほど複雑であったかを
想像させる。
これらの状況を読み進めると、なぜ事故原因の理由として、亡霊が登場してきたのか、朧気ながら見えてくる。
36人もの犠牲者を出した事故は、被害者やその家族、関係者など多くの人に対して、自らの力が及ばない出来事としてトラウマを与え、関係者はやり場の無い気持ちを抱えることとなった。
加えて事故原因も定かでない状態で、人々は不安に陥り、自分達の感情に折り合いをつける手段として、非現実的である亡霊に事故の原因を求めることを受け入れたのではないか、と。
水難事故と大震災
本作は何十年もの前の水難事故を通して、東日本大震災後に生きる人たちに対してメッセージを送る作品でもある。
先に述べた、事故後の関係者への批判や非難がそれ自体のために成されたものであったり、政治的パフォーマンスが散見されたのは、震災後に良く見られた光景でもあった。
また、震災後に、多くの被災者が霊体験に遭遇した記事も多々あった。両者には共通点が多い。
水難事故と東日本大震災という人智を超えた2つの出来事に共通点を見出し、水難事故後に何が行われたのか(行われなかったのか)を明らかにする事で教訓を得て、震災後に生きる人達が取るべき行動に示唆を与えているように思えた。
本編の最後に、津市が発行した「津市市政施行100周年記念誌」という本の紹介がある。
内容は、「津市の職員が係わり、教育委員会の職員が執筆した本だが、中河原海岸水難事故についての記述はわずか数行であった。」というもの。
著者は直接は言及していないが、水難事故の取り上げ方があまりに小さいと考えているように思えた。
人は誰でも自らの意思とは関係なく事故に遭遇してしまうことがある。事故によって生死が別れてしまうことさえある。
そこで生き残った人は、亡くなった人と自分達のために、出来事を語り継がなくてはならないのではないか、という命題を著者が問いかけたようにも思えた。
まとめ
自分もインターネット上で怪談事件として、この水難事故の存在を知っていたが、事故の理由や背景や理由、資料、当事者へのインタビュー
など事件の詳細を辿る事で、全く違う印象を持つ事に驚いた。
本書は主に以下記す3つのテーマが中心に描かれている。
- 水中に現れた亡霊の真相
- なぜ事故後、事故原因として亡霊が登場したのか
- 水難事故と東日本大震災
特に、水難事故と東日本大震災を重ねて語る所が興味深かった。
人智を超えた出来事によって生死が別れ、生き残るものと亡くなるものに分かれてしまう。
生き残ったものは、亡くなったものと自分達の為に何かしらの役割を引き受けなければならない。ということを強く意識させられた。
中河原海岸水難事故が今日まで広く知られているのは、間違いなく亡霊や怪談という要素による所が大きい。
本作は、その部分に惹かれて手に取った読者に新しい気付きと示唆を与えてくれる作品である。